民法ゼロから民法#297

損害の意義と逸失利益の考え方

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第6章 法定債権 #297/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

指を失ったのに、給料は変わらない

冒頭の設例 Bは会社で事務の仕事をしている会社員。自転車で通勤中、Aの運転する車にぶつけられ、自転車は壊れ、左手の指を1本失った(後遺症が残った)。治療を終えて職場に戻ったが、給料は事故の前と全く変わらない。Bは、指を失ったことで将来の収入が減る分(逸失利益)を、Aに請求できるのか。A=車を運転していた人/B=けがをした会社員。 図:冒頭の設例 Bは会社で事務の仕事をしている会社員

  • 自転車で通勤中、Aの運転する車にぶつけられ、自転車は壊れ、左手の指を1本失った(後遺症が残った)
  • 治療を終えて職場に戻ったが、給料は事故の前と全く変わらない
  • Bは、指を失ったことで将来の収入が減る分(逸失利益)を、Aに請求できるのか
  • A=車を運転していた人/B=けがをした会社員

設例から入ります。Bは、会社で事務の仕事をしている会社員です。自転車で通勤している途中に、Aの運転する車にぶつけられました。自転車は壊れ、Bは左手の指を1本失って、後遺症が残りました。治療を終えて職場に戻りましたが、給料は事故の前と全く変わりません。記号は、Aが車を運転していた人、Bがけがをした会社員です。Bは、指を失ったことで将来の収入が減る金額、つまり逸失利益を、Aに請求できるでしょうか。大きな被害がある以上、何かは賠償されるはずだ、という感覚は自然です。それが、今日の出発点です。被害の大きさと、法律が見る損害は、同じではありません。この問いの答えは、損害をどう定義するかにかかっています。先に答えの形だけ言うと、後遺症が比較的軽微で、収入も減らないなら、原則は請求できません。ただし、ゼロと決まるわけではなく、要件つきです。

定義で答えが変わるんですか。変わります。順番は4つあります。まず、損害とは何か。次に、その定義から、冒頭の問いに答えを出す。そして、損害にはどんな種類があるか。最後に、損害の金額は、どうやって出すのか。前回までで、権利又は法律上保護される利益の侵害を見終えました。侵害があっても、損害が生じていなければ、賠償は始まりません。今日は、その損害の中身を見ます。

今日の地図。損害とは何か(差額で考える)→収入が減らない後遺症(冒頭の問いの答え)→損害の種類(財産的か非財産的か/積極的か消極的か)→金額の出し方(項目ごとの積上げ)。 図:今日の地図

板に並べました。この4つが、今日の道筋です。

損害とは何か 差額説と損害事実説

損害の考え方の2つ。差額説=不法行為がなかったとしたら被害者が持っていたはずの財産と、いま持っている財産の差額が損害(判例は基本とする)。損害事実説=個々の不利益な事実そのものを損害とみる(有力)。 図:損害の考え方の2つ

  • 差額説=不法行為がなかったとしたら被害者が持っていたはずの財産と、いま持っている財産の差額が損害(判例は基本とする)
  • 損害事実説=個々の不利益な事実そのものを損害とみる(有力)

問いです。思い出してください。709条の回で、要件を5つに整理しました。その3つめは、何でしたか?損害です。今日の主役です。債務不履行の回で、差額説という考え方を見ました。不法行為でも、同じ形で使えます。不法行為がなかったとしたら被害者が持っていたはずの財産と、いま被害者が持っている財産を、比べます。その差額が、損害です。判例は、この差額説を基本としています。自転車で見てみます。事故がなければ、Bの手元には、壊れていない自転車があったはずです。いまあるのは、壊れた自転車です。この2つの価値の差が、自転車についての損害です。喩えるなら、事故がなかった世界の通帳と、いまの通帳を、横に置いて見比べるイメージです。差が出た欄だけが、損害になります。もう一つの考え方が、債務不履行の回でも見た、損害事実説です。損害を、被害者に生じた、個々の不利益な事実そのものと見ます。たとえば、指を失った、働きにくくなった、という事実です。有力な説で、学説は割れています。ただ、賠償はお金で行います。事実があっても、結局は金額に直す作業が必要になります。

2つの説の違いは、請求する人が何を主張し、立証するかに出ます。差額説では、損害そのものが、通帳の差という金額です。ですから、損害があると言うには、請求する人が、差額という具体的な金額を示す必要があります。損害事実説では、損害そのものが事実です。ですから、設例のBなら、指を失ったという事実を示せば、損害は示せたことになり、金額への評価は裁判所に委ねられます。差額説に対して、損害を事実として捉える有力な説もある、という位置づけです。判例は差額説を基本としますから、答案では差額説を軸に書き、損害事実説は有力な説として押さえてください。この対立は、論文で論点になりうるところです。

判決の言葉で見る損害の定義

損害の定義(判決の言葉)。侵害行為がなかったならば生じなかったであろう状態(原状)をa、侵害行為によって生じている現実の状態(現状)をbとして、a−b=x。xを金銭で評価したものが損害。数理的に算定できる→有形の損害(財産上の損害)/できない→無形の損害。 図:損害の定義(判決の言葉)

  • 侵害行為がなかったならば生じなかったであろう状態(原状)をa、侵害行為によって生じている現実の状態(現状)をbとして、a−b=x。xを金銭で評価したものが損害。数理的に算定できる→有形の損害(財産上の損害)
  • できない→無形の損害。

判例が、損害をどう定義しているかを見ます。事案は一言だけ触れます。医療を目的とする法人が、名誉を侵害されたとして、金銭の賠償を求めた事件です。この事件には、後半でもう一度戻ります。

判例最判昭39・1・28 民集18巻1号136頁

損害とは何か a−b=xの方式 法人の名誉毀損をめぐる事案 民法上のいわゆる損害とは、一口に云えば、侵害行為がなかつたならば惹起しなかつたであろう状態(原状)を(a)とし、侵害行為によつて惹起されているところの現実の状態(現状)を(b)としa−b=xそのxを金銭で評価したものが損害である。そのうち、数理的に算定できるものが、有形の損害すなわち財産上の損害であり、その然らざるものが無形の損害である。

⭐ 論文で書く規範:【規範(判例で立てる)】損害とは、侵害行為がなかったならば生じなかったであろう状態(原状)と、侵害行為によって生じている現実の状態(現状)との差を、金銭で評価したもの。そのうち、数理的に算定できるものが有形の損害(財産上の損害)、そうでないものが無形の損害。 (解釈で立てる規範(出どころ=判例)。条文は損害の定義を書いていない。決め手=賠償はお金で行うので、被害を、侵害がなかった状態との差として捉え、金銭で評価できる形にする必要があるから)

判決の式を、読み上げます。エー引くビーイコールエックス。エーは、侵害行為がなかったなら生じなかったであろう状態、つまり原状です。ビーは、侵害行為によって生じている現実の状態、つまり現状です。この差のエックスを、金銭で評価したものが、損害です。たとえば、設例の自転車なら、原状は、壊れていない自転車がある状態、現状は、壊れた自転車がある状態です。その差を金額にしたものが、自転車についての損害になります。判決のこの定義は、さきほどの差額説と同じ筋です。ただし、判決は、差額説という言葉を使っていません。言っているのは、差を金銭で評価したものが損害だ、というところまでです。ですから、判決が差額説を採用した、とは言わないでください。答案では、判例は差額説を基本とする、と書きます。判決は続けて、数理的に算定できるものを有形の損害、つまり財産上の損害とし、そうでないものを無形の損害としました。この2つの呼び名は、あとで分類のときに使います。さらに判決は、民事責任の眼目とするところは損害の填補だと言います。填補は、足りない分を埋めることです。差を金銭で埋めるのが、損害賠償のねらいです。709条の回で、見せしめのために賠償額を上乗せすることは認められない、と見ました。懲罰が目的ではない、というその筋と、つながります。

収入が減らない後遺症 冒頭の問いの答え

判決の事案。研究所に勤める技官が、交通事故でけがをし、約2年10か月通院した。腰のあたりに14級の後遺症が残り、右足に局部的な神経症状があったが、手足の機能障害・運動障害はないと診断され、後遺症は多分に心因性とも考えられた。事故の前は力を要する成型加工の業務、事故後は座ったままの測定・解析の業務。給与面では格別の不利益なし。原審は労働能力が2パーセント失われ、期間7年として財産上の損害を認めた→最高裁は破棄差戻し。 図:判決の事案

  • 研究所に勤める技官が、交通事故でけがをし、約2年10か月通院した
  • 腰のあたりに14級の後遺症が残り、右足に局部的な神経症状があったが、手足の機能障害・運動障害はないと診断され、後遺症は多分に心因性とも考えられた
  • 事故の前は力を要する成型加工の業務、事故後は座ったままの測定・解析の業務
  • 給与面では格別の不利益なし
  • 原審は労働能力が2パーセント失われ、期間7年として財産上の損害を認めた→最高裁は破棄差戻し

冒頭の問いに、答えを出します。判決の答えは、二段に分かれます。1段目が原則、2段目が、特段の事情という例外です。まず、判決の事案です。研究所に勤める技官が、交通事故でけがをして、約2年10か月通院しました。腰のあたりに、後遺症が残りました。身体障害の等級は14級です。等級は1級から14級まであり、14級はいちばん軽い区分です。右の足に、局部的な神経症状がありましたが、手足の機能障害や運動障害はないと診断されました。後遺症は、多分に心因性、つまり心の影響とも考えられました。事故の前は、力を要する成型加工の業務についていました。事故のあとは、座ったままできる測定と解析の業務に移りました。しかし、給与の面では、格別の不利益を受けていません。原審は、労働能力が2パーセント失われ、その期間は7年間だとして、年収を基準にした財産上の損害を認めました。収入に格別の減少が無くても、労働能力が失われたこと自体を損害と見て、職業や後遺症の部位と程度などを総合して、額を評価したのです。最高裁は、加害者側が負けた部分を全部破棄して、差し戻しました。理由は、費目ごとの損害額は互いに密接に関連しているから、というものです。

収入が減っていない点は、共通です。ただ、違いもあります。判決の事案は、14級で機能障害や運動障害もなく、軽い後遺症にあたる事案として扱われました。指を1本失ったことが軽微と言えるかは、別の問いです。あとで、あてはめで見ます。ここで、問いです。事故の前と後で、給料が全く変わらない人の、将来の収入の減少は、差額説で考えると、損害になるでしょうか?差額説の物差しで測れば、収入に差が出ない以上、原則は損害なしに傾きます。判決の言葉を見ます。

収入が減らない後遺症の原則。かりに身体的機能の一部を喪失したこと自体を損害と観念できるとしても、後遺症の程度が比較的軽微で、職業の性質からみて現在又は将来の収入の減少も認められないなら、特段の事情のない限り、労働能力の一部喪失を理由とする財産上の損害を認める余地はない。 図:収入が減らない後遺症の原則

判例最判昭56・12・22 民集35巻9号1350頁

収入が減らない後遺症と財産上の損害 原則の部分 かりに交通事故の被害者が事故に起因する後遺症のために身体的機能の一部を喪失したこと自体を損害と観念することができるとしても、その後遺症の程度が比較的軽微であつて、しかも被害者が従事する職業の性質からみて現在又は将来における収入の減少も認められないという場合においては、特段の事情のない限り、労働能力の一部喪失を理由とする財産上の損害を認める余地はないというべきである。

⭐ 論文で書く規範:【規範(判例で立てる)】後遺症の程度が比較的軽微で、しかも被害者が従事する職業の性質からみて現在又は将来における収入の減少も認められないという場合には、特段の事情のない限り、労働能力の一部喪失を理由とする財産上の損害は認められない。 (解釈で立てる規範(出どころ=判例)。条文は後遺症と収入の関係を書いていない。決め手=損害は事故がなかった場合といまとの差であり、収入が減っていなければ、財産の面では差が無いから)

判決の言い方に注意してください。「かりに、身体的機能の一部を喪失したこと自体を損害と観念することができるとしても」と、仮定して言っています。観念する、とは、そう捉える、という意味です。つまり、労働能力の喪失そのものを損害と見る見方が正しいかどうかには、踏み込んでいません。その見方に立ったとしても、収入が減っていなければ、原則として財産上の損害は認めない、と言っているのです。前提も、落とさないでください。後遺症の程度が比較的軽微であること。しかも、職業の性質からみて、現在も将来も、収入の減少が認められないこと。この2つがそろった場合の話です。収入が減っていなければ、後遺症があっても一切認められない、という意味ではありません。

どうして収入が減らないと、損害にならないんですか。差が無いからです。事故がなかった場合の収入と、いまの収入が同じなら、通帳を並べても、収入の欄には差が出ません。判例が差額説を基本とすることの、具体的な表れです。線の内と外で確かめます。線の中に入る例は、設例のBで、指の欠損が比較的軽微だと評価でき、事務の仕事で、給料が変わらず、昇進にも影響が見当たらない場合です。原則どおり、将来の収入の減少は、財産上の損害として認められない方向です。境界のすぐ外は、同じ後遺症でも、給料が実際に下がった場合です。収入の減少が認められますから、この原則の前提から外れます。

特段の事情 原則が崩れるとき

特段の事情の2例。1つめ=事故の前後で収入が変わらないのは、本人が収入の減少を回復する特別の努力をしているなど事故以外の要因によるもので、その要因がなければ収入の減少を来たしていたと認められる場合。2つめ=労働能力喪失の程度が軽微でも、職業の性質に照らし、特に昇給・昇任・転職等に際して不利益な取扱を受けるおそれがあると認められる場合。 図:特段の事情の2例

  • 1つめ=事故の前後で収入が変わらないのは、本人が収入の減少を回復する特別の努力をしているなど事故以外の要因によるもので、その要因がなければ収入の減少を来たしていたと認められる場合
  • 2つめ=労働能力喪失の程度が軽微でも、職業の性質に照らし、特に昇給・昇任・転職等に際して不利益な取扱を受けるおそれがあると認められる場合

原則には、特段の事情という例外がありました。判決の言葉を見ます。

判例最判昭56・12・22 民集35巻9号1350頁

収入が減らない後遺症と財産上の損害 特段の事情の部分 それにもかかわらずなお後遺症に起因する労働能力低下に基づく財産上の損害があるというためには、たとえば、事故の前後を通じて収入に変更がないことが本人において労働能力低下による収入の減少を回復すべく特別の努力をしているなど事故以外の要因に基づくものであつて、かかる要因がなければ収入の減少を来たしているものと認められる場合とか、労働能力喪失の程度が軽微であつても、本人が現に従事し又は将来従事すべき職業の性質に照らし、特に昇給、昇任、転職等に際して不利益な取扱を受けるおそれがあるものと認められる場合など、後遺症が被害者にもたらす経済的不利益を肯認するに足りる特段の事情の存在を必要とするというべきである。

⭐ 論文で書く規範:【規範(判例で立てる)】収入が減っていなくても、財産上の損害があるというには、後遺症が被害者にもたらす経済的不利益を肯認するに足りる特段の事情が必要。たとえば、(1)収入が変わらないのが、収入の減少を回復する特別の努力など事故以外の要因によるもので、その要因がなければ収入が減っていたと認められる場合、(2)労働能力喪失の程度が軽微でも、職業の性質に照らし、昇給、昇任、転職等に際して不利益な取扱を受けるおそれがあると認められる場合。 (解釈で立てる規範(出どころ=判例)。条文は特段の事情を書いていない。決め手=収入が減っていなくても、本人の努力で保っていたり、将来の不利益のおそれが認められたりするなら、後遺症が経済的不利益をもたらしていると評価できるから(差額説を貫くと不都合な場合を、部分的に修正する))

特段の事情の例は、いま見た2つです。どちらも、後遺症が被害者にもたらす経済的不利益を肯認するに足りる事情、つまり、経済的な不利益があると認めるに足りる事情です。1つめに当たる例は、Bが、残業を増やすなどして、人一倍努力して給料を保っている場合です。努力がなければ、給料は下がっていたと認められるなら、特段の事情になりえます。2つめに当たる例は、指の欠損のせいで、昇進や配置、転職のときに不利に扱われるおそれが認められる場合です。これも、特段の事情になりえます。どちらも無く、指の欠損も比較的軽微だと評価できるなら、原則どおり、将来の収入の減少を理由とする逸失利益は、認められません。逆に、どちらかの事情が認められれば、認められうるのです。ですから、冒頭の問いの答えは、ゼロと決まるのではなく、要件つきです。

指1本が軽微かどうかは、どうなるんですか。そこは、事案ごとに評価される問いです。職業の性質もあわせて見ます。この回では、軽微と言えるかどうかを、設例で断定しません。逸失利益が認められなかったら、Bさんは何ももらえないんですか。違います。ほかの項目は、別に立ちます。治療費、自転車の修理費用、仕事を休んだ間の給料、そして指を失った苦痛です。将来の収入の減少という1つの項目が認められなくても、ほかの項目は消えません。この点は、あとの明細書で、はっきり見えます。

損害の種類① 財産的損害と非財産的損害

損害の分け方①。財産的損害=金銭的な不利益(治療費・自転車の修理費用など)/非財産的損害=典型は、精神的苦痛を金銭に換算した慰謝料。判決の言葉では、有形の損害(財産上の損害)/無形の損害。分類は、何に加えられたかではなく、生じた損害の内容による。 図:損害の分け方①

  • 財産的損害=金銭的な不利益(治療費・自転車の修理費用など)/非財産的損害=典型は、精神的苦痛を金銭に換算した慰謝料
  • 判決の言葉では、有形の損害(財産上の損害)/無形の損害
  • 分類は、何に加えられたかではなく、生じた損害の内容による

ここからは、損害の種類です。分け方は、債務不履行の回で見た、2本の軸を、不法行為でもそのまま使います。1本目は、財産的損害と、非財産的損害です。財産的損害は、金銭的な不利益です。治療費や、自転車の修理費用が、それに当たります。非財産的損害の典型は、精神的な苦痛を金銭に換算した慰謝料です。名誉やプライバシーの回で、賠償の中身である慰謝料は損害の回で見る、と言いました。それが、この非財産的損害の典型です。判決の言葉では、数理的に算定できる有形の損害、つまり財産上の損害と、そうでない無形の損害でした。

傷つけられた対象で分類したくなりますが、それは落とし穴です。分類は、何に対して加えられたかではなく、生じた損害の内容で決まります。Bは、身体という、財産ではないものを傷つけられました。でも、生じた損害は、治療費という財産的損害と、痛みや、指を失った苦痛という非財産的損害の、両方です。逆も、あります。財産を傷つけられた場合でも、財産以外の損害が生じる場合を、条文は想定しています。709条の回でも一度読んだ、710条です。債務不履行の回で、慰謝料は不法行為の710条では認められやすい、と言いました。その710条です。

条文民法710条

民法第710条 他人の身体、自由若しくは名誉を侵害した場合又は他人の財産権を侵害した場合のいずれであるかを問わず、前条の規定により損害賠償の責任を負う者は、財産以外の損害に対しても、その賠償をしなければならない。

条文は、「他人の財産権を侵害した場合」でも、財産以外の損害の賠償を求められる、と書いています。財産権の侵害で、慰謝料が認められるかは、ここでは条文がそう書いている、というところまでにします。もう一つ、大事な点があります。710条は、前条の規定により損害賠償の責任を負う者、つまり709条の責任を負う者について、財産以外の損害も賠償しなければならない、と定めています。ですから、財産的損害は709条、非財産的損害は710条、という2本立てではありません。非財産的損害の賠償も、709条の要件がそろっていることが前提です。前に709条の回で、損害の中身はあとで見ると言いました。その中身の一つが、この非財産的損害です。

損害の種類の続き 法人の無形の損害

法人の名誉が侵害されたとき。問い=法人には精神がなく、苦痛もない。それでも金銭の賠償を求められるか。医療を目的とする法人が、名誉を侵害されたとして、財産上の損害ではない無形の損害の賠償を求めた。原審=法人には精神上の苦痛がないので、無形の損害の賠償は求められない→最高裁は破棄差戻し。 図:法人の名誉が侵害されたとき

  • 問い=法人には精神がなく、苦痛もない
  • それでも金銭の賠償を求められるか
  • 医療を目的とする法人が、名誉を侵害されたとして、財産上の損害ではない無形の損害の賠償を求めた
  • 原審=法人には精神上の苦痛がないので、無形の損害の賠償は求められない→最高裁は破棄差戻し

問いです。法人には、精神がありません。苦痛も感じません。それでも、名誉を傷つけられた法人は、金銭の賠償を求められるでしょうか?先ほどの、医療を目的とする法人の事件に戻ります。法人が、名誉を侵害されたとして、財産上の損害ではない、無形の損害の賠償を求めました。原審は、法人には精神上の苦痛が無いので、無形の損害の賠償は求められない、と判断しました。最高裁は、この原判決を破棄して、差し戻しました。損害額を認めた判決ではない点に、注意してください。判決の答えは、二段です。1段目は710条の読み方、2段目は、法人の場合の結論です。

判例最判昭39・1・28 民集18巻1号136頁

710条の読み方 法人の名誉毀損をめぐる事案 民法七一〇条は、財産以外の損害に対しても、其賠償を為すことを要すと規定するだけで、その損害の内容を限定してはいない。……むしろすべての無形の損害を意味するものと読みとるべきである。

判決は、710条を、こう読みます。条文は、財産以外の損害と言うだけで、その内容を、精神上の苦痛に限っていません。すべての無形の損害を意味する、と読むのです。次の判決文に出てくる723条は、名誉の回で見た、名誉を回復するための処分の条文です。

判例最判昭39・1・28 民集18巻1号136頁

法人の無形の損害 判決の結論の部分 以上を要約すれば、法人の名誉権侵害の場合は金銭評価の可能な無形の損害の発生すること必ずしも絶無ではなく、そのような損害は加害者をして金銭でもつて賠償させるのを社会観念上至当とすべきであり、この場合は民法七二三条に被害者救済の格段な方法が規定されているとの故をもつて、金銭賠償を否定することはできないということに帰結する。

⭐ 論文で書く規範:【規範(判例で立てる)】710条は、財産以外の損害の内容を限定しておらず、すべての無形の損害を意味する。法人の名誉権が侵害され、金銭評価の可能な無形の損害が生じた場合は、その損害は金銭で賠償させるのが至当で、名誉回復の方法が規定されていても、金銭賠償は否定できない。 (解釈で立てる規範(出どころ=判例)。710条の文言は「財産以外の損害」で、精神上の苦痛に限っていない。決め手=710条が損害の内容を限定していないので、法人でも金銭に評価できる無形の損害が生じるなら、710条が適用されるから)

言い方に気をつけます。判決が認めたのは、法人にも、金銭に評価できる無形の損害が生じうる、というところまでです。法人に慰謝料が認められた、とか、法人に精神的な苦痛がある、とは言いません。たとえば、診療所を開いている法人について、根拠のない悪評が記事になったとします。患者が減って収入が落ちた分は、財産上の損害です。それとは別に、法人の社会的な評価が下がったこと自体が、金銭に評価できる無形の損害になりうる、ということです。判決の言葉では、それを金銭で賠償させるのが至当、つまり当然だ、となります。判決は、できると言います。名誉回復の処分という別の方法があるからといって、金銭賠償は否定できません。723条自身が、名誉回復の処分を、損害賠償に代えて、または損害賠償とともに命じられる、と書いていて、金銭の賠償と一緒に使える仕組みだからです。名誉回復の処分の中身は、別の回で扱います。ここも、線の内と外で確かめます。法人の名誉が侵害されて、金銭に評価できる無形の損害が現に生じたと言えるなら、710条が適用されます。一方、そのような損害が生じたと言えなければ、そもそも賠償の対象となる損害がありません。判決は、必ず生じる、と言っているのではなく、必ずしも絶無ではない、と言っています。無形の損害をどう金銭に評価するかについても、判決は述べています。無形の損害でも、法律の上では、金銭評価の道が全く閉ざされているわけではありません。侵害行為の程度、加害者と被害者の年齢や資産、その社会的環境など、各般の事情を考えて、金銭の評価はできる、と言います。金額の相場には、ここでは踏み込みません。

損害の種類② 積極的損害と消極的損害

2×2の損害の分類表(Bの事故)。財産的損害のうち、積極的損害(出ていったお金)=治療費・通院の交通費・自転車の修理費用。消極的損害=逸失利益(入ってこなくなったお金)=仕事を休んだ間の給料(休業損害)・後遺症による将来の収入の減少。非財産的損害(慰謝料)=痛み・指を失った苦痛。 図:2×2の損害の分類表

  • Bの事故
  • 財産的損害のうち、積極的損害(出ていったお金)=治療費・通院の交通費・自転車の修理費用。消極的損害=逸失利益(入ってこなくなったお金)=仕事を休んだ間の給料(休業損害)・後遺症による将来の収入の減少。非財産的損害(慰謝料)=痛み・指を失った苦痛。

2本目の軸は、財産的損害の内訳です。積極的損害と、消極的損害です。積極的損害は、すでにあった利益が、なくなったり減ったりすることです。出ていったお金です。消極的損害は、得られたはずの利益を、得られなかったことです。入ってこなくなったお金です。逸失利益とも言います。設例のBの事故を、表に割り付けます。積極的損害は、治療費、通院の交通費、自転車の修理費用です。どれも、事故がなければ出ていかなかったお金です。消極的損害は、仕事を休んだ間の給料、つまり休業損害と、後遺症による将来の収入の減少です。冒頭の問いの逸失利益は、ここに入ります。非財産的損害は、痛みや、指を失った苦痛です。

1つめの軸は、財産的か非財産的か。2つめの軸は、財産的損害の中で、積極的か消極的か。ですから、表は2かける2の形になります。注意点が1つあります。積極的か消極的かは、損害の内容の分け方です。債務不履行の回で見た、賠償の範囲を決める、通常損害か特別損害かという分け方とは、別の軸です。問いです。入院のために仕事を休み、もらえなかった給料は、積極的損害でしょうか、消極的損害でしょうか?出ていったお金ではなくて、入ってこなくなったお金だから、消極的損害です。休業損害は、消極的損害です。財布から出ていったお金だけが損害ではなく、入ってくるはずだったお金が入ってこなくなることも、損害です。

損害の金額の出し方 項目ごとの積上げ

交通事故の賠償額の明細書(Bの事故)。積極的損害=治療費(事故がなければ支出しなかった費用)/通院の交通費(同)/自転車の修理費用または再調達費用 金額欄△万円。消極的損害=休業損害(事故がなければ得られた給料)/後遺症による将来の収入の減少(認められるなら) 金額欄△万円。非財産的損害=慰謝料(苦痛を金銭に評価)。合計=損害(差額)。 図:交通事故の賠償額の明細書(Bの事故)

  • 積極的損害=治療費(事故がなければ支出しなかった費用)
  • 通院の交通費(同)
  • 自転車の修理費用または再調達費用 金額欄△万円。消極的損害=休業損害(事故がなければ得られた給料)
  • 後遺症による将来の収入の減少(認められるなら) 金額欄△万円。非財産的損害=慰謝料(苦痛を金銭に評価)。合計=損害(差額)。

最後に、金額の出し方です。判例や学説は、損害を項目に分けて、項目ごとに金額を出し、積み上げて、損害である差額を算定します。個別損害項目積上げ方式と言います。項目の例は、積極的損害なら治療費、交通費、修理費用、再調達費用、介護費用、消極的損害なら将来得たであろう収入の減少、非財産的損害なら慰謝料などです。設例のBの事故で、明細書を作ります。積極的損害には、治療費、通院の交通費、自転車の修理費用があります。修理できず買い替えたなら、再調達費用です。考え方は、事故がなければ支出しなかった費用、です。消極的損害には、休業損害と、将来の収入の減少があります。考え方は、事故がなければ得られた給料、です。非財産的損害には、慰謝料があり、苦痛を金銭に評価します。金額の基準は、ここでは扱いません。そして、これらを合計したものが、損害、つまり差額です。

差額説と積上げ方式は、働く層が違います。差額説は、損害をどう捉えるかという考え方です。積上げ方式は、その差額をどうやって出すかという方法です。各項目について、事故がなかった場合といまを比べて、差を出します。そして、その差を足し合わせます。収入が減らない後遺症の判決は、この明細書の中の、将来の収入の減少という1行が、0円になりうる例です。項目ごとに金額を出します。計算の手順を喩えるなら、食事の会計です。料理ごとに値段を出して、最後に合計します。1行が0円でも、ほかの項目の金額はそれぞれ計算します。

将来の収入が減る分を、一括でもらうときは、金額をそのまま出すんですか。そこは調整が入ります。将来の分を、いま一括で受け取る場合の調整は、別の回で扱います。ここでは、判例や学説は、項目ごとに積み上げる、というところまで押さえてください。損害の金額には、被害者に過失があるときの減額も関わります。これも別の回で扱います。

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まとめ。損害=事故がなかった場合といまとの差を金銭で評価したもの(判例は差額説を基本)。収入が減らない後遺症=比較的軽微で、収入の減少も認められないなら、特段の事情のない限り財産上の損害は認められない。特段の事情=特別の努力で収入を保つ/昇給・昇任・転職の不利益のおそれ。財産的/非財産的(710条・法人の無形の損害)。積極的/消極的(出ていったお金/入ってこなくなったお金)。項目ごとに積み上げる。 図:まとめ

  • 損害=事故がなかった場合といまとの差を金銭で評価したもの(判例は差額説を基本)
  • 収入が減らない後遺症=比較的軽微で、収入の減少も認められないなら、特段の事情のない限り財産上の損害は認められない
  • 特段の事情=特別の努力で収入を保つ/昇給・昇任・転職の不利益のおそれ
  • 財産的/非財産的(710条・法人の無形の損害)
  • 積極的/消極的(出ていったお金/入ってこなくなったお金)
  • 項目ごとに積み上げる

設例の答えを出します。Bは、指の欠損が比較的軽微だと評価でき、収入も減っていないなら、将来の収入の減少を理由とする逸失利益は、原則として認められません。ただし、特別の努力で収入を保っている場合や、昇給、昇任、転職で不利益を受けるおそれが認められる場合などの、特段の事情があれば、認められうるのです。治療費、休業損害、修理費用、慰謝料は、別の項目として考えます。まとめます。1つめ、損害は、事故がなかった場合といまとの差を、金銭で評価したものです。判例は、差額説を基本とします。損害事実説も有力です。2つめ、後遺症が比較的軽微で、職業の性質からみて、現在も将来も収入の減少が認められないときは、特段の事情のない限り、労働能力の一部喪失を理由とする財産上の損害は認められません。特段の事情の例は、特別の努力で収入を保っている場合と、昇給、昇任、転職で不利益を受けるおそれがある場合です。3つめ、損害は、財産的か非財産的かで分けます。分類は、何に加えられたかではなく、生じた損害の内容で決まります。710条は、709条の責任を負う者が、財産以外の損害も賠償するという規定です。法人でも、金銭に評価できる無形の損害が生じうるとされます。4つめ、財産的損害は、出ていったお金の積極的損害と、入ってこなくなったお金の消極的損害、つまり逸失利益に分かれます。そして、損害は、項目ごとに金額を出して、積み上げて算定します。

損害の意義と、収入が減らない後遺症の逸失利益は、論文で論点になりうるところです。

参照条文

  • 民法710条

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